明日香村の南西、飛鳥駅から少し歩いた丘のふもとに、白い石で覆われた不思議な形の古墳があります。牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)です。すぐ隣には、小さな越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)も並んでいます。高松塚古墳やキトラ古墳のような壁画はありませんが、飛鳥の古墳めぐりで見逃せない理由があります。この記事では、「現地で何が見られるのか」「石槨(せっかく)は見られるのか」「誰の墓とされているのか」を、訪れる順にやさしく整理します。
先に結論
牽牛子塚古墳・越塚御門古墳で、まず押さえたいのは次の4つです。
- 最大の特徴は、古代の姿に復元された「八角墳(はっかくふん)」。全国でも数例しかない珍しい形です。
- 岩をくり抜いて造った石槨(石の部屋)も、現地で見ることができます(柵・扉の外から)。
- すぐ隣の越塚御門古墳とセットで見ることに意味があります。
- 斉明天皇(さいめいてんのう)らの墓とする説は有力とされますが、確定したわけではありません。
この記事で分かること
- 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳で「何が・いつ見られるのか」という3つの見方
- 八角墳・石槨の意味と、誰の墓とされているのか(断定はしません)
- 見学料・見学時間・アクセスといった実用情報と、高松塚・キトラ・石舞台との違い
訪問前の注意
通常の見学は無料で、見学路の通り抜けは終日できます。石槨をより近くから見る石室特別公開だけは有料・事前予約制です(この2つを混同しないでください)。また、現地には駐車場もトイレもありません。見学料・特別公開の日程・交通は変わることがあるため、出かける前に公式情報で最新を確かめてください。

牽牛子塚古墳・越塚御門古墳では、何が見られる?

牽牛子塚古墳・越塚御門古墳は、壁画を展示する館があるキトラ古墳や高松塚古墳とは違い、屋外の史跡そのものを見学する場所です。見どころは「いつ・どんな条件で見られるか」で、大きく3つに分かれます。
- A|通常、現地で見られるもの……白い切石で復元された八角形の墳丘、牽牛子塚古墳の石槨、越塚御門古墳の石槨(いずれも柵・扉の外から)、周辺の景観や案内表示。通常見学では無料で、見学路の通り抜けは終日できます。
- B|解説・映像から分かること……八角墳や石槨がもつ意味、被葬者をめぐる説、越塚御門古墳を紹介する約3分間の映像(上映は9〜17時)。
- C|期間限定の特別公開……石槨をより近くから見学できる「石室特別公開」。有料・事前予約制で、実施日や時間枠が限られます。
つまり牽牛子塚古墳は、「復元された八角墳と石槨を現地で見て、被葬者の説を手がかりに読み解く」のが基本の楽しみ方です。石槨にもっと近づきたい場合だけ、特別公開の実施を事前に確認しておきましょう(くわしくは後半で説明します)。
みこ復元墳丘と石槨は、通常見学では無料で、柵の外から見られます。石槨にぐっと近づきたいときだけ、有料・予約制の特別公開を使う――この違いを先に押さえると、計画が立てやすくなります。


牽牛子塚古墳・越塚御門古墳とは|世界遺産の構成資産


牽牛子塚古墳は、奈良県明日香村の大字越(おおあざこし)にある古墳です。読み方は「けんごしづか」。江戸時代や明治時代の文献では「あさがお塚(づか)」とも呼ばれてきました。墳丘が多角形で、その形が朝顔(あさがお)の花に似ていたためと考えられています。
古墳が築かれたのは、7世紀後半ごろ、古墳時代の終わりごろ(終末期)とされています。大きな前方後円墳が造られなくなり、天皇や有力者の墓が、規模は小さくても特別な形や精巧な造りへと変わっていく時代です。牽牛子塚古墳は、その終末期を代表する古墳のひとつとして知られています。
すぐ南東の約20メートルの場所には、越塚御門古墳があります。こちらは2010年(平成22年)の調査で見つかった、より小さな古墳です。牽牛子塚古墳は古くから国の史跡に指定されており、越塚御門古墳が見つかったあと、この越塚御門古墳が追加で指定され、史跡の名称も現在の「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」に変わりました。


そして2026年7月26日、牽牛子塚古墳を含む「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産に登録されました(国内27件目)。「飛鳥・藤原の宮都」は、明日香村・橿原市・桜井市にまたがる、宮殿・官衙(かんが)跡、仏教寺院跡、墳墓など19の資産からなり、牽牛子塚古墳はその構成資産のひとつです(構成資産としての名称は「牽牛子塚古墳」で、これは国の史跡「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」という指定名称とは表記が異なります)。登録の基準は、(ii)(文化の交流や広がりを示す価値)と(iii)(ある文明・文化的伝統を今に伝える証拠としての価値)です。飛鳥時代の宮殿や寺院、そして天皇級の墓が一体で残っていることが、国際的に評価されたものです。
混同しないための注意
世界遺産に登録されたのは「飛鳥・藤原の宮都」という資産群で、牽牛子塚古墳はその構成資産のひとつです。ただし、世界遺産に登録されたことと、被葬者が特定の人物に確定したことは別の話です。「世界遺産だから斉明天皇の墓と確定した」わけではありません。被葬者については、後の章でくわしく整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 奈良県高市郡明日香村大字越(別名「あさがお塚」) |
| 古墳の形式 | 牽牛子塚古墳=八角形墳(対辺約22m・高さ4.5m以上)/越塚御門古墳=方墳(墳丘はほとんど残らない) |
| 築造時期 | 7世紀後半ごろと考えられている(終末期の古墳) |
| 文化財指定 | 国の史跡「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」(牽牛子塚古墳を指定後、越塚御門古墳を追加指定・名称変更) |
| 世界遺産 | 世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産(2026年7月26日登録・国内27件目・登録基準(ii)(iii)) |
| 被葬者 | 特定されていない(斉明天皇・間人皇女・大田皇女の説は後述) |
現地で見る①|復元された八角墳


牽牛子塚古墳の主役は、なんといっても白い切石で復元された八角形の墳丘です。ここでは、現地で墳丘にどう近づき、どこを見れば「八角形」が分かるのかを案内します。


まず見るのは、白い復元墳丘
牽牛子塚古墳は2022年(令和4年)に古代の姿へと整備され、二上山(にじょうざん)でとれる凝灰岩(ぎょうかいがん)の切石を積み上げた、八角形のすがたによみがえりました。白い切石で整えられた墳丘は、緑の多い飛鳥の風景のなかでもよく目立ちます。この白さは、復元にあたって古代の外装を再現したものです。派手な建物があるわけではありませんが、だからこそ、飛鳥の景色のなかで古墳の形そのものをじっくり眺められます。
八角形はどこを見れば分かる?
古墳といえば、前方後円墳や円墳、方墳(四角い古墳)が思い浮かびますが、八角形の古墳はごく限られています。牽牛子塚古墳は、対辺の長さ(向かい合う辺と辺の間)が約22メートル、高さは4.5メートル以上の八角形で、この形は2009年(平成21年)の発掘調査ではっきり確認されました(観光案内では「直径約30メートル」とも紹介されますが、考古学的には対辺約22メートルの八角墳として整理されています)。
現地で八角形を実感するコツは、正面から眺めるだけでなく、まわりを少し移動して、辺と辺が折れて角ができている部分を確かめることです。段を重ねた墳丘(版築段)の稜線をたどると、多角形であることが見えてきます。
八角形という形には、意味があると考えられています。八角形は、古代の天皇陵に用いられた特別な形とされ、全国でも数例しかありません。飛鳥時代の終わりごろの天皇の墓とされる古墳に、この八角形がいくつか見られることが知られています。八方位(四方八方)を意識した形と結びつけて、「天下を治める者」にふさわしい特別な形だった、とみる解釈もあります。ただし、これは確定した事実ではなく、研究上の見方のひとつです。いずれにせよ八角形は、ただの珍しい形ではなく、葬られた人物が天皇級の高い立場にあった可能性をうかがわせる手がかりとして注目されています。「この形だから必ず天皇の墓」と一つに断定できるものではありません。



八角形は、天皇陵に用いられた特別な形とされます。「上から見ると八角形」と想像しながら墳丘のまわりを少し歩くと、辺の折れ目が見えてきて、形の意味が実感しやすくなります。




現地で見る②|岩をくり抜いた石槨


八角形の墳丘とあわせて見ておきたいのが、その内部にある石槨(せっかく)です。ここでは、用語の整理と、通常見学でどこから何が見られるのかを分けて説明します。
「石室」と「石槨」はどう違う?
古墳のなかで棺(ひつぎ)を納める石の空間を、まとめて「石室(せきしつ)」と呼ぶことがあります。そのなかでも牽牛子塚古墳のものは、石を組み合わせて壁をつくったのではなく、巨大な一個の岩をくり抜いて部屋にしたもので、こうした形式を「石槨」、とくに横から棺を入れる造りを「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」と呼びます。この記事では、牽牛子塚古墳の石の部屋を「石槨」と呼びます。
牽牛子塚古墳の石槨は、二上山の凝灰岩を一個くり抜き、内部を左右二つの部屋に仕切った、たいへんめずらしい造りです。天井はゆるやかなドーム状の曲面に仕上げられています。開口部は、内側を凝灰岩の扉石、外側を石英安山岩(せきえいあんざんがん)の扉石で塞いでいたと調査で分かっており、二重に閉じる念の入った造りでした。石を「積む」のではなく「くり抜く」という発想と、二人ぶんの部屋をていねいに整えた手間から、葬られた人物がどれほど重んじられていたかが伝わってきます。この左右二室という造りは、二人の人物を並べて葬るためのものと考えられており、のちにお話しする「斉明天皇と間人皇女の合葬」という説とも結びついています。
通常見学ではどこまで見られる?
石槨は、保存のため柵・扉の外からの見学です。中に立ち入ることはできませんが、開口部から石の部屋の造りをのぞくことができます。石を「くり抜いた」なめらかな内側や、ドーム状の天井のかたちに注目すると、飛鳥時代の石工(いしく)の技術の高さを感じ取れます。


なお、石槨をより近くから見学できる「石室特別公開」は、通常見学とは別の有料・予約制の取り組みです(この章の見学は無料の通常見学の範囲です)。特別公開についてはこのあとの章で説明します。



石槨は「岩を積んだ」のではなく「大きな岩を一個くり抜いた」部屋です。中が左右二つに分かれているのは、二人を並べて葬るため。この造りが、のちの「斉明天皇と娘の合葬」という説につながっていきます。


現地で見る③|隣の越塚御門古墳とセットで


牽牛子塚古墳を見たら、すぐ南東にある越塚御門古墳も見ておきましょう。小さな古墳ですが、「なぜ牽牛子塚古墳と隣り合わせで見る意味があるのか」を知ると、見学がぐっと深くなります。
越塚御門古墳は、2010年(平成22年)、牽牛子塚古墳の周辺を調査していたときに、割れた石が見つかったことをきっかけに発見されました。飛鳥での大きな発見として当時話題になった古墳です。牽牛子塚古墳よりずっと小さく、墳丘はほとんど残っていませんでしたが、調査によって方墳(四角い古墳)だったと考えられています。埋葬施設は、こちらも巨大な石をくり抜いた石槨で、南に向かって開口しています。石をくり抜いた内部は長さ約2.4メートル・幅約0.9メートルほどで、棺を納める空間へ通じる墓道(ぼどう)も設けられていたことが分かっています。現地では、この石槨を柵の外から見学できます。
なぜ二つを隣り合わせで見る意味があるのか
二つの古墳の並び方そのものが、大きな見どころです。のちの章でお話しするように、牽牛子塚古墳を「親と娘」、越塚御門古墳を「その孫娘」の墓とみる説を重ねると、二つの古墳の位置関係が、そのまま古代の家族のつながりを映しているようにも見えてきます。この位置関係は、『日本書紀(にほんしょき)』のある記述とよく符合すると指摘されています。だからこそ、越塚御門古墳は「小さな古墳をもう一つ見る」のではなく、「牽牛子塚古墳とセットで、位置関係ごと見る」のがおすすめです。
越塚御門古墳については、発見の経緯や被葬者の説を紹介する約3分間の映像が上映されています(上映時間は9時〜17時)。石槨だけでは分かりにくい背景を、映像で理解の助けにできます。



越塚御門古墳は「小さな古墳をもう一つ」ではなく、牽牛子塚古墳との“並び”ごと見るのがポイントです。二つの位置関係が、このあとの『日本書紀』の記述とつながっていきます。


誰の墓なの?|斉明天皇・間人皇女・大田皇女と『日本書紀』


牽牛子塚古墳・越塚御門古墳を語るうえで欠かせないのが、「誰の墓とされているのか」という点です。ここは特に、史料に書かれていること・発掘から分かること・研究上の解釈を、混ぜずに読むのが大切です。
有力とされる説
- 牽牛子塚古墳……斉明天皇と、その娘・間人皇女(はしひとのひめみこ)を合わせて葬ったとする説が有力とされています。斉明天皇は、飛鳥時代に二度即位したことで知られる女帝で、はじめは皇極天皇(こうぎょくてんのう)として、のちに斉明天皇として重ねて位につきました。天智天皇(中大兄皇子)・天武天皇の母にあたる人物です。間人皇女は、その斉明天皇の娘で、孝徳天皇(こうとくてんのう)の皇后になったとされる人物です。
- 越塚御門古墳……斉明天皇の孫・大田皇女(おおたのひめみこ)の墓とする説が有力とされています。大田皇女は天智天皇の娘で、のちに天武天皇の妃になったとされ、若くして亡くなったと伝えられます。つまり、牽牛子塚古墳に葬られたとされる斉明天皇から見れば孫にあたります。
『日本書紀』には何と書かれている?
手がかりになるのが、『日本書紀』の天智天皇6年(667年)の記述です。そこには、斉明天皇と間人皇女を合わせて葬った陵(みささぎ)の前に、大田皇女を葬ったという趣旨の記述があります。牽牛子塚古墳(斉明天皇・間人皇女)と越塚御門古墳(大田皇女)が、まさに「陵とその前」という位置関係で並んでいることが、この記述との符合が指摘される根拠になっています。
史料と古墳を重ねて考える
発掘からは、牽牛子塚古墳の八角形の墳丘や、左右二室の精巧な石槨といった、天皇級の人物にふさわしい特徴が確認されています。石槨から見つかった人骨が女性に近い特徴をもつとされることも、間人皇女らを含む合葬の説とよく合うと指摘されています。かつては川嶋皇子(かわしまのみこ)や浅香王(あさかのおおきみ)の墓とする見方もありましたが、こうした特徴から、現在は斉明天皇らの陵とする説が有力とされています。
ただし、これらはあくまで蓋然性が高いとされる説であり、被葬者が正式に確定したわけではありません。天皇や皇族の墓は、宮内庁が管理する陵墓との関係もあって、慎重に扱われます。答えが一つに定まっていないからこそ、有力な説を手がかりに、想像をふくらませながら見学すると、飛鳥時代への興味が深まります。



「斉明天皇のお墓」と紹介されることが多いですが、正式に確定したわけではありません。石槨の造りや『日本書紀』の記述とよく合う「有力な説」として、想像をふくらませながら見学するのがおすすめです。


石室特別公開|通常見学との違い(変動情報)


石槨をもっと近くで見たい方のために、石室特別公開が用意されています。まず違いを一言でいうと――通常見学は「無料・予約不要・柵の外から」、石室特別公開は「有料・事前予約・特別なエリアから」です。この2つを混同しないようにしてください。
石室特別公開は、通常は柵・扉の外から見る石槨を、特別なエリアからガイドの案内つきで見学できる取り組みです。前の章までで紹介した見学(八角墳の墳丘・両古墳の石槨を柵の外から見る・越塚御門古墳の映像)は無料で、通常見学として楽しめます。これに対して石室特別公開は有料で、事前予約が必要です。人数にも定員があり、実施される日や時間の枠も限られます。
参加を考える場合は、実施期間・曜日・時間・料金・予約方法・定員・公開範囲を、訪問前に必ず明日香村の観光ポータルサイトや予約サイトで確認してください。予約なしで当日いつでも石槨に近づける、というものではありません。逆にいえば、「通常の見学だけなら予約は不要で無料」ですので、まずは気軽に八角墳と石槨を見に行き、より深く見たくなったら特別公開を検討する、という順番でも十分に楽しめます。



石槨をもっと近くで見たいなら、有料・予約制の「石室特別公開」があります。実施の期間・日・時間枠・料金・予約状況は変わることがあるので、訪問前に公式や予約サイトで確認しましょう。ふだんの見学は無料で、予約もいりません。
高松塚・キトラ・石舞台との違い


飛鳥には有名な古墳がいくつもあります。「牽牛子塚古墳は、高松塚古墳やキトラ古墳と何が違うの?」という疑問に、先に一言でまとめると――
- 壁画で知られる古墳をテーマに見比べたいなら……高松塚古墳(人物群像「飛鳥美人」)/キトラ古墳(四神・天文図)。ただし、どちらも壁画の実物はふだん見られず、復元墳丘や隣接する保存・展示施設で理解します。
- 古墳の形や石の造り、天皇級の被葬者の物語を味わいたいなら……牽牛子塚古墳(八角墳・石槨)
- 巨大な石室そのものの迫力を見たいなら……石舞台古墳(むき出しの横穴式石室)
「どれがすごい」ではなく、見学体験の違いで選ぶのがおすすめです。くわしくは下の表のとおりです。
| 古墳 | 現地で注目したいもの |
|---|---|
| 牽牛子塚古墳 | 復元された八角墳、岩をくり抜いた石槨。被葬者は斉明天皇・間人皇女の合葬説が有力(確定ではない) |
| 越塚御門古墳 | 牽牛子塚古墳の隣の方墳。被葬者は大田皇女説が有力。『日本書紀』の記述との符合が指摘される |
| 高松塚古墳・キトラ古墳 | 壁画で知られる古墳(高松塚=飛鳥美人/キトラ=四神・天文図)。壁画の実物はふだん見られず、復元墳丘や保存・展示施設で理解する。被葬者はいずれも特定されていない |
| 石舞台古墳 | むき出しの横穴式石室。蘇我馬子(そがのうまこ)の墓とする説が知られる |
同じ終末期の古墳でも、石舞台古墳は石を「組んだ」横穴式石室、牽牛子塚古墳は石を「くり抜いた」石槨で、造り方が異なります。壁画の高松塚・キトラとも、見どころの性格がはっきり違います。これらの古墳は同じ飛鳥エリアにあり、あわせて巡ると、飛鳥の古墳の多様さを体験として楽しめます。



壁画で知られる古墳を見比べたいなら高松塚・キトラ(実物はふだん見られず、展示施設で理解します)、古墳の形や石の造りと「誰の墓か」の物語を味わいたいなら牽牛子塚。石舞台は石を「組んだ」石室、牽牛子塚は石を「くり抜いた」石槨。見比べると、飛鳥の古墳の幅広さが分かります。
牽牛子塚古墳が語るのは、大きな古墳を競って造る時代が終わり、天皇の権威を八角形という特別な形で示すようになっていく、飛鳥の終末期のすがたです。やがて古墳そのものが造られなくなり、律令(りつりょう)にもとづく新しい国家へと移っていきます。八角墳の前に立つと、その時代の変わり目を想像できます。
見学情報・アクセス|訪問前に確認


訪れる前に確認しておきたい実用情報をまとめます。見学の条件や交通は変わることがあるため、下の内容は目安として参考にし、出かける前に必ず公式サイトで最新を確かめてください(この記事の見学・アクセス情報は、公開前に公式で再確認します)。
見学料・見学時間
- 通常見学……無料。見学路(沿路)の通り抜けは終日できます。石槨は柵・扉の外からの見学です。
- 越塚御門古墳の映像……約3分間の映像が9時〜17時に上映されています。
- 石室特別公開……石槨をより近くから見る特別公開は、有料・事前予約制です(前章参照)。料金・実施日・時間枠は公開前に公式で確認してください。
| 見学の種類 | 内容 |
|---|---|
| 通常見学 | 無料・予約不要。沿路の通り抜けは終日可。石槨は柵・扉の外から。越塚御門古墳は約3分間の映像(9〜17時) |
| 石室特別公開 | 有料・事前予約制。特別なエリアから石槨を見学。実施日・時間枠・料金・定員・公開範囲は公開前に公式で要確認 |


アクセス・駐車場・トイレ
- 最寄り駅……近鉄吉野線の飛鳥駅から徒歩約10〜15分(案内により差があります)。レンタサイクルなら約5分ほどです。
- 駐車場・トイレ……現地には駐車場もトイレもありません。 車で近くまで来る場合や見学の前後には、飛鳥駅前・アグリステーション飛鳥・道の駅飛鳥などの駐車場・トイレを利用してください。訪問前にトイレを済ませておくと安心です。
- 所要時間……復元墳丘と両古墳の石槨、越塚御門古墳の映像を見るのが中心です。石室特別公開に参加するかどうかで変わるため、旅程には余裕をもたせておくと安心です。


車なしでの飛鳥観光やレンタサイクル、一日のモデルコースは別の記事でくわしく紹介します。高松塚古墳・キトラ古墳・石舞台古墳など、周辺とあわせて巡ると一日を充実させられます。



現地には駐車場もトイレもありません。飛鳥駅やアグリステーション飛鳥などで済ませてから、徒歩かレンタサイクルで向かうと安心です。交通の細かい選び方や一日の巡り方は、別の記事をあわせてご覧ください。


飛鳥宮跡や飛鳥寺について先に知りたい場合は、次の記事もどうぞ。
飛鳥宮跡の歴史と現地での見どころ/飛鳥寺・飛鳥大仏の見どころと拝観案内
よくある質問(FAQ)


牽牛子塚古墳は「けんごしづかこふん」、越塚御門古墳は「こしつかごもんこふん」と読みます。牽牛子塚古墳は、墳丘が朝顔の花に似ていることから「あさがお塚」とも呼ばれてきました。
白い切石で復元された八角形の墳丘と、巨大な岩をくり抜いて造った石槨(柵・扉の外から)が見られます。壁画はありません。すぐ隣の越塚御門古墳の石槨も見学でき、約3分間の映像で被葬者の説なども紹介されています。
斉明天皇と、その娘・間人皇女を合わせて葬ったとする説が有力とされています。ただし、被葬者が正式に確定したわけではありません。八角形の墳丘や左右二室の石槨が、この説を支える手がかりとされています。
斉明天皇の孫・大田皇女の墓とする説が有力とされています。『日本書紀』天智天皇6年(667年)の「斉明天皇と間人皇女を合わせて葬った陵の前に大田皇女を葬った」という趣旨の記述と、二つの古墳の並び方が符合すると指摘されています。こちらも断定はされていません。
八角形をした古墳のことで、全国でも数例しかありません。八角形は、古代の天皇陵に用いられた特別な形とされ、葬られた人物が天皇級の高い立場にあったことをうかがわせる手がかりと考えられています。
通常の見学では、石槨は柵・扉の外から見るかたちで、中には入れません。石槨をより近くから見たい場合は、有料・予約制の「石室特別公開」があります。
通常の見学は無料で、沿路の通り抜けは終日できます。石室特別公開だけは有料で、事前予約が必要です。料金・実施日は変わることがあるため、公式で確認してください。
近鉄飛鳥駅から徒歩約10〜15分、レンタサイクルで約5分ほどです。現地には駐車場もトイレもないため、飛鳥駅前やアグリステーション飛鳥などの駐車場・トイレを利用してください。
高松塚古墳・キトラ古墳は壁画で知られる古墳です。牽牛子塚古墳には壁画はなく、八角形の墳丘の形と、岩をくり抜いた石槨の造り、斉明天皇らの墓とされる説が見どころです。「どれがすごい」ではなく、見られるものの違いとして楽しむのがおすすめです。
はい。2026年7月26日に登録された世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産のひとつです。ただし、世界遺産に登録されたことと、被葬者が斉明天皇に確定したことは別の話で、被葬者は今も特定されていません。
まとめ|牽牛子塚古墳で覚えて帰る3つのこと


牽牛子塚古墳・越塚御門古墳は、次の3つを押さえておけば、迷わず楽しめます。
1. 復元された八角墳を見る……白い切石でよみがえった、天皇陵に用いられたとされる珍しい八角形。まわりを歩いて角・折れ・段を確かめる。
- 石槨と越塚御門古墳をセットで見る……岩をくり抜いた左右二室の石槨を柵の外から。隣の越塚御門古墳との位置関係が、被葬者の説と結びつく。
- 「誰の墓か」を有力な説として楽しむ……斉明天皇・間人皇女・大田皇女の説は有力とされるが、確定ではない。『日本書紀』の記述との符合を手がかりに想像する。
牽牛子塚古墳は2026年7月26日に世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産として登録されました。壁画の高松塚古墳・キトラ古墳や、巨石の石舞台古墳とあわせて巡れば、飛鳥の古墳めぐりがいっそう豊かになります。通常見学は無料ですが、石室特別公開の日程やアクセスの情報は変わることがあり、現地に駐車場・トイレがない点にも注意が必要です。出かける前に、公式情報で最新を確かめてください。
確認日 2026-08-09。特別公開の細目は2026-07-05確認・公開前再確認。
世界遺産の登録
- 文化庁・外務省ほか「『飛鳥・藤原の宮都』世界遺産登録」関連の公式発表=2026年7月26日 第48回世界遺産委員会での登録決定・登録基準(ii)(iii)・構成資産19件・国内27件目。
- 世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会/UNESCO世界遺産センター=登録内容・構成資産の一覧。牽牛子塚古墳は構成資産のひとつ(構成資産としての名称「牽牛子塚古墳」と、国の史跡の指定名称「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」は表記が異なる)。
古墳・文化財
- 明日香村公式「牽牛子塚古墳(国指定史跡)」=正式名称・別名あさがお塚・所在地 大字越・対辺約22mの八角形墳〈平成21年調査〉・凝灰岩をくり抜いた左右二室の横口式石槨・ドーム状天井・被葬者は斉明天皇と間人皇女説が有力・越塚御門古墳と日本書紀天智6年との関連・終末期の古墳。
- 文化庁「文化遺産オンライン」牽牛子塚古墳・越塚御門古墳=史跡指定の経緯〈牽牛子塚を指定後、越塚御門を追加指定・名称変更〉・規模・石槨・越塚御門は刳り抜き式石槨で墳丘ほぼ残らず・両墳とも7世紀後半・日本書紀天智6年2月条の記述との関係。指定年月日・寸法は公開前に一次再確認。
- 奈良県観光公式「あをによし なら旅ネット」牽牛子塚古墳・越塚御門古墳=八角形は古代天皇家を象徴する形とされる・凝灰石くり抜き左右二室・ドーム型天井。観光案内での「直径約30m」表現。
見学・特別公開・アクセス
- 明日香村公式「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳の一般公開について」=一般公開・見学無料・沿路通り抜け終日可・石槨は柵/扉の外から・越塚御門古墳の約3分間の映像〈9〜17時〉・石室特別公開は有料・事前予約制・現地に駐車場なし・飛鳥駅からのアクセス。
- 明日香村観光サイト「あすか時間」牽牛子塚古墳・越塚御門古墳=見どころ・石室特別公開の案内・アクセス・現地トイレなし。石室特別公開の料金・実施日・定員・予約方法は公開回・シーズンで変わるため、会期ごとに明日香村観光ポータル/予約サイトで再確認。
